日記

11月4日

今日は文フリというイベントに行った。
最初はあまり行く気もなく、どうしようか悩んだか、思い切って行くことにする。
あまりそういう人間だとは思われてないようだけど、基本的に腰は重いし、人と会うのは好きだけど、それは自分が安心して会える範囲内の人で、色々な人がいるところには基本的に緊張するし、積極的な気分になることはない。でも、そういうのはある種の努力だと思っていて、憂鬱だからといって無気力に過ごすよりかは能動的に行動していくほうが結局は自分のためになるのかなって思ったりしてる。

文フリ自体はとても楽しく過ごせて。色々な人と会えて、挨拶したり話したり出来た。
そうした一つ一つの積み重ねがどういう風になるか分からないけど、でもどっかで1つくらいはあの人と会ったよとか、どこかで話されたり話題にされたりすることもあるのかなって思うと、ちょっとだけ嬉しいような気持ちにもなる。
たまに知らない人から一方的に挨拶されたりして戸惑うけど、なんとなく、そういうことは嬉しい事のような気もする。

正直自分はコミュニケーション能力がある方ではない。コミュニケーションのパターンが少ないし、当てはまる人はいいけど、当てはまらない人とは本当に立ちすくんでしまう。

いろいろ考えすぎて何も言えなくなってしまうっていう自分の特徴を遮断して意識的に神経を軽くすることで、なんとか人と話したり出来る状態を作り出せている。

こればっかりはもう根本的には変わらないと思うし、独りになってあれは良くなかった、これは良くなかったって反省してこれからは気をつけようっていろいろアップデートはしているつもりだけど、なかなか難しい。

文フリはでも楽しい事ばかりではなかった。世の中いろいろな人間がいて、自分がどうしても受け入れられないタイプの人達もいる。そうした人たちは身近にもいて、なんとなく彼ら彼女らの生活の話を聞いて不快感を抱いたりもした。

でもそういうのは基本的に自分の気持ち次第なのだ。
自分がいま余裕を持って、人をちゃんと愛して、ちゃんと愛されているって実感があれば許せるというか気にならないものだ。他の人はしらないけど自分はそうだ。

人のちょっと倫理的に逸脱してる行為を、許し難いと思ってしまうのは自分の余裕のなさを測る定規みたいなもので、今はやっぱり調子よくないのだろうなと思った。

そのことで、最近いろいろな人から気遣いを受けいて、感謝の気持ちと自己嫌悪とあって、一言でいうなら精神が忙しい。
でも。でもね。そういうの楽しいというかおもしろいなって思う。
自分の心の人間らしさはわりと好きだ。
自分だけじゃなくて、人のありとあらゆる感情。
それらはみな好きだ。不快感を抱くこともあるけど、そこも含めてやはり愛しいと思う。ムカムカするし、思い通りにならなくてひどく屈辱的に感じたりもするけど、やはりそれは愛しいものなのだと思う。

話がそれた。文フリのあとは打ち上げ。
入った居酒屋があまり良くなった。
まあ愚痴ることではないので、それはいいや。
そのあとバッティングセンターに行った。
楽しかった。
打ち上げで話したことはまた後で書こうかな。
今日はこれくらい。
おやすみなさい。