日記

12月19日

1ヶ月ぶりくらいに日記の更新。しかし、正直何を書いていいかわからない。
この1ヶ月生活自体は淡々と過ごしていたが、どうにも自分の行動を咀嚼して言語化するという行為が出来なくなってしまっていた。
日々生きるのに精一杯といえば多少はかっこつくだろうか。

要は人生に圧倒されて頭のなかで考えるので一杯一杯でおよそブログを書く気力がなかっただけということだ。

そしていまはまた別の理由で日記を書くのに戸惑っている。

書きたいことが、思うことが多すぎて何を書いてわからないのだ。

とりあえずひとつひとつ書いていこう。ちょっと今回は長くなるかも。でも短く書く。なるたけね。

先日友達にちょっと早いがクリスマスプレゼントだと思ってゲームソフトをプレゼントしたのだ。友達は喜んでくれたと思うしゲームも楽しんでプレイしてるみたいなのでプレゼントしてよかったなと思ってるのだけど、(たぶん文章として成立しない、文脈がつながらないと思うけど)、ぼくはなんだか悲しくなっている。

喜んでくれたのは嬉しい。でもそれがなんだというのだろうって思ってる自分がいる。
別に誰かが憎いとかそういうのじゃない。
ただ、ぼくは何年前だか忘れてしまったが、(きっとずっと前だ)せっかく生まれてきたのだから人に対して誠実であったり、やさしくであったりとにかくniceであろうと決めたのだ。

でも、無力感とでも言うのだろうか、それがなんだって気持ちになっている。
誰かが自分の優しさなんてものを求めてるわけじゃない。そも人に対して優しくありたいなどと思うことだっておこがましいのではないだろうか。

世界は残酷だからどれほど大切にしてるものでも理不尽な理由で失われることだってある。
病気や事故や、自然災害など。それよりもっと理不尽ことだって起こる。

どこかに悪い敵がいてそいつを倒せばみんなが幸せになるって単純な世界じゃない。
敵はどこにもいないし、倒すべき相手なんていないし、正しさは人それぞれで、感情に従ってみっともなくわがままを通した結果何か大切なものを手に入れることもあるし、その逆だってある。

愛されたいから、無意識の内に愛されるように振る舞って、でもその過程に自覚がなく、結果として作った関係性をどこをどうやっても傷つけるような振る舞いしか出来ない人もいるし、人に対して不平不満しか言わないで傷つけるような振る舞いしか出来ない人もいるし、世の中とにかく色々な人がいる、みんながみんな普通に慎ましい幸せを願ってると思うけど、結果は平等には訪れない。
1人の人間が数多い人間の幸福や平和を祈ることなど、そも正気の沙汰じゃないのだとも思う。
こんなことは1人の人間が考えることじゃないのかもしれない。
だから、でも、やはりよくわからないのだ。


普通に慎ましい生活をしてるだけでいいのかもしれない。
難しいことを考えても仕方ないのかもしれない。
なんだかひどく悲しい。
でもきっとすぐこの気持ちも受け入れてしまうのだろうと思うと、悲しく、おかしな気分になる。