映画

前回に引き続いて個人的映画ベスト150やります。

順位はなく個人的に好きな映画を150くらい上げます。
順番は監督→作品名です。それではレッツゴー。




クリント・イーストウッド「ブロンコ・ビリー」
クリント・イーストウッドパーフェクト・ワールド
クリント・イーストウッド父親たちの星条旗
スティーブン・スピルバーグミュンヘン
スティーブン・スピルバーグ宇宙戦争
スティーブン・スピルバーグ「ジェラシック・パーク」
エミール・クストリッツァ「黒猫白猫」
ハル・アシュビーハロルドとモード 少年は虹を渡る」
ハル・アシュビー「チャンス」
ロバート・アルドリッチ北国の帝王
ロバート・アルドリッチカリフォルニアドールズ
ロバート・アルドリッチキッスで殺せ
ジャン・ヴィゴ「新学期・操行ゼロ」
ロベルト・ロッセリーニ「ストロンボリ」
ロベルト・ロッセリーニ無防備都市
ルキノ・ヴィスコンティベリッシマ
ガス・ヴァン・サント「ジェリー」
オタール・イオセリアーニ「素敵な歌と舟はゆく」
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー「13回の新月のある年に」
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー「マリアブラウンの結婚」


イーストウッドから3本選ぶ。これほどの苦行はそうはないでしょう。なにしろ、ガントレットアウトローを選べばグラン・トリノミリオンダラー・ベイビーがこぼれ。ミスティック・リバーチェンジリングを選べば、トゥルー・クライムブラッド・ワークがこぼれてしまうわけです。
いくら個人的に好きなものと言っても3本だけとなるとかなり恣意的な選択になりました。
ブロンコ・ビリーはなんとなく気の抜けた感じが好きですね。
気の抜けたなんて表現すると怒られそうですが個人的な偏愛があります。

パーフェクト・ワールドはあまり話題にならないように思えますがとても良い映画だと思います。なんとなくケビン・コスナーと子どもの交流を描いた心あたたまるストーリーみたいな捉え方されるように思えますが、けっこうひどい話ですね。
イーストウッドも決して善人というわけではありません。
イーストウッドの映画の中でわりとターニングポイント的な映画な気がします。

そして父親たちの星条旗。これは映画史に残る大傑作だと思います。
イーストウッドの映画の全作品は運命についての映画です。
この世界には人間にはどうしようもない大きな運命があり、登場人物はその運命を知らず、あるいはまたその運命を知りながらも抗えず死んでいくというものです。
100万ドルを稼ぐ女性ボクサーも、少年時代にレイプされた男も、復讐に取り憑かれたガンマンも、戦争の理不尽さをいやというほど味わったネイティブアメリカンもみな運命に従って死んでいきます。
例えばキューブリックはそれを神の目線で上から描きますが、イーストウッドはそうした人間の運命を人間に寄り添って撮ります。
おそろしく冷たい冷酷に人間に襲いかかる運命、それをあくまでも人間に寄り添って撮るからイーストウッド映画には本当に幽かなヒューマニズムが残るのでしょう。
しかしそのヒューマニズムさえも運命によって流されていくので我々は震えるしかないのです。
父親たちの星条旗のあのネイティブアメリカン。彼が荒野に消えていくシーンはまさに人間の真実だと思えます。心の底から恐怖しますね。


スティーブン・スピルバーグも同様に3本選ぶとなると大変難しいです。
ここにあげた以外にもフックやシンドラーのリスト、続激突カージャックやA.I.といった作品がありますからね。
個人的に最もスピルバーグ的な作品はA.I.だと思います。
スピルバーグはありとあらゆる手法で人を殺しまくった監督です。
サメに食われ、銃弾に倒れ、ガスに倒れ、恐竜に食われ、あるいは宇宙人の光線で人が死んでいきます。A.I.はその極北でなにせ人間どころか地球上すべての生命体が死ぬというとんでもない映画です。
スピルバーグの映画は死を取り扱ったものが多いです。
そして次に多いテーマが父と子。
ターミナル、キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンなど父と子をテーマにしたものも多いですね。活劇、死、父と子それらのテーマが合わさった傑作で個人的に好きなものが宇宙戦争ですね。地味で暗くてラストも悲惨な映画にもかかわらず、活劇映画として十分エンターテイメントであるという天秤を成立させているように思えます。
そして個人的に一番好きなものがミュンヘン
スピルバーグイーストウッドと同じ領域にいることが十分にわかる映画です。
スピルバーグは父と子をテーマにする場合が多いので多くの場合女性は母性的な女性などキャラクター的な性格を与えられるだけで映画の中では排斥されがちなのですが、ミュンヘンでは珍しく女性が出てきます。それも裸で。スピルバーグの映画ではとても珍しいですね。その裸の女性を男達が寄ってたかって銃を撃ち殺します。
若い裸の女性を復讐のために銃で撃ち殺す。
スピルバーグの映画の中でもっとも暴力的なシーンだと思います。
そしてラストシーンのイスラエルモサドの長官の拒絶。
あの観客全員に対する拒絶こそ、スピルバーグの本質な気がします。


記憶が多少あやふやなのですが、淀川長治はかつて映画をダメにしたのはゴダールだと語り、そして、そのあとでも本当に一番最初に映画をダメにしたのはロベルト・ロッセリーニなんだと言ってたと思います。
ロッセリーニの映画は重厚で見応えがあります。ただ淀川長治氏のような人が怒るのも十分わかります。ゴダールの方がわかりやすいかもしれませんが、映画の文法を崩し、誰が見ても楽しめるというようなやり方では映画を撮らないですからね。そこが淀川長治氏のような人にとってはどうしても許しがたかったんでしょう。
でも今見るとストロンボリとか真っ当なドラマであり十分楽しめますよね。


イオセリアーニは本当は蝶採りや四月といった映画のほうが美しいと思うのですが、決して善人とはいえない酔っぱらいのおっさんどもがどんちゃんと騒ぎ、それに居心地の悪さを感じる人もおり、残酷さを描きつつすっとぼけた味わいでそれを包み、なんとなくハッピーな感じにするイオセリアーニの味わいは他の映画では絶対味わえないですね。本当に不思議な映画を撮る人だと思います。


ガス・ヴァン・サントはグッド・ウィル・ハンティングとかしょうもない映画もたくさん撮っているんですが、ジェリーはかなり意欲的な作品です。
2時間ほどある映画で内容はほぼ歩いているだけ。歩いているだけでも映画になるという確信を持って撮られた映画です。そして山で道に迷い下山するためにひたすら彷徨うだけのこの映画でもその中で物語があり、セリフはほとんどなくてもその中でドラマがあることですね。ここは本当に驚嘆します。
風景も美しく、アルヴォ・ペルトの音楽もたいへん美しい。


ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーもとにかくすさまじい。
この人はわりとはっきりと語られてると思うのでとくに言いません。
すごい人生生きた大天才ですね。
マリアブラウンの結婚はドイツの映画、ドイツ映画ではなくドイツについての映画。
マリアブラウンという女性がドイツそのものなんですね。
第2次世界大戦で負け、夫の帰還を待つものも夫は現れず、アメリカ兵相手のサービス業に転じる。そのあと社長夫人のような存在になり資本主義的な方向に一気に加速する。
このマリアブラウンとう女性の人生がドイツの歩みを表している。
しかし敗戦を経験したアイデンティティは回復されず、最後に74年の西ドイツワールドカップに西ドイツが優勝した所で真にドイツの魂が復活したところが描かれます。これは本当に見事な映画です。



アルドリッチハル・アシュビーも素晴らしい監督なんです。今度時間があるとき語っていきたいです。