日記

11月5日

今日は連休明けの久しぶりの仕事だったので、いつもより疲れた。朝など会社に行くのに普通の支度して家を出てしまい、一度家に戻って支度し直す馬鹿をやってしまい、駅まで走って余計に疲れてしまった。

それ以外は特記すべきことはない。夜ご飯は油淋鶏の定食を食べた。美味しかった。

それで昨日、飲み会で知らない人も含め色々な人と話したり、飲んだりしたのだけど、そこで思ったことを。

世の中には色々な人がいる。こっちの想像が及ばないくらいの金持ちだっている。実際の知り合いにはいなくても、知り合いの知り合いぐらいにはいたりする。
個人資産が何十億って世界にいる人達。

実際社会人になって、自分の身の回りだけじゃなくて色々なところへ出かけたり、イベントに行ったりして人と会ったりしてると本当に色々な人と知り合う。

プロの作家や芸能人やあるいはみんながみんな知ってるような大きなイベントに携わってる人や、あるいは社会インフラに携わってる人、新聞やテレビで見るような人と出会うこともある。

そういう人たちと知り合ってる自分がすごいとかそういう卑小な話ではなくて、多少なりとも世の中を見回せば、自分なんかが本当に何者でもない卑近な存在で、思わず劣等感を抱いてしまうようなちゃんと社会的な立場にいる人はたくさんいるってことだ。

よくよく考えてみると、自分の知り合いは高学歴で高収入の仕事に就いている人が多い。
自分はそこにことさら劣等感があるわけではないけど、「自分より立派な人」にたいして何一つ心が動かないわけではない。

何度も書いてるような気がするけど、結局は隣の芝生は青く見えるってやつだ。みんながみんな自分の人生をそれなりに生きてる。お金を何十億って持っていたって人の何十億倍も幸せってわけじゃない。

それはなんだってそうだ。恋人がずっといない人はいる人を羨むだろうけど、恋愛は別に良いことばかりじゃない。煩わしいことも多大にあるし、人と深く関わるってやっぱり疲れることなのだ。

だから基本的にはそれぞれがそれぞれの人生を生きているだけだ。
ローマの休日じゃないけど、王女が一般人になってみたいという悩みも本人からしてみたらそれは自分の人生を左右する大きな悩みだろう。人は他者の苦しみを本質的は理解できない。もし理解できたなら人はあっさり狂ってしまうだろう。

それは人間の防衛機能だと思う。人は自分の精神を保つために人の苦しみ、あるいは感情すべてを丸っきり理解できないようになっているのだと思う。



わたしたちには嫉妬や憧れという感情がある。
自分が持ってないものを持っている人に対してなんかしらの感情を抱いてしまうものだ。

アイドルにはアイドルの苦悩がある。
政治家や、大企業のトップで働いている人にもその人なりの苦悩がある。
私たちと同じように苦しんだり、普通に泣いたり笑ったりしているのだと思う。

こうなりたい、あの人のようになりたいという思いは間違ってないけど、その「あの人」だって私たちと同じように普通に生きているのだ。

もちろんだからと言って自分たちの固有の苦しみが解消されるわけではない。
友達と喧嘩した。仕事が上手くいかない。物欲がコントロール出来ない。あるいはお金がない。上手く人間関係が築けない。適切な食欲が持てない。性欲を解消できない。
色々な固有の苦しみがあるだろう。
それは当然苦しいものであるだろう。

でもその苦しみは特別なことじゃない。1つの事象に過ぎないし、ある意味誰もが抱えてる卑近なものだ。

僕らは毎日悩んで、笑って、泣いて、疲れて、癒され、怒ったり喜んだりして生きている。それらは日常と呼ばれるものだ。
もちろん日常すらまともに送れないほど安定が欠けている場合もあるだろう。

でもそれすらやはり毎日の繰り返しで、日常と呼ぶべきものだと思う。

自分は人間らしい感情として、自分より肉体的に優れていたり、社会的に優れていたり、人格的に優れていたり、自分が持ってないものを持っている人に対して嫉妬心はある。
自分の身の回りの殆どの人たちに対してなんかしらのコンプレックスを感じる。でもそれは人間として普通の感情だと思うんだ。

だから、ぼくは、悩むことも好きだ。何故自分は今の自分とは違う自分になれなかったのだと悩むことも好きだ。

煩悩に振り回されるのも人間らしさだと思う。それらは全て好きだ。流石にある程度年をとるとそうしたことすらどうでもよくなり、半分興味を失っているが、でもだいたいのことは受け入れられる。
もちろん人を意図的に苦しめてる人たちに対して深い怒りを感じることもある。自分の欲望のために人をあっさり踏みにじれる人とは仲良くはなれないと思うし、できればそうした行為はやめてほしいとすら思う。

でもそうやってみんな些細なことで傷ついたり悩んだりしているのだ。だからどうでもいいのかなって思う。

自分の固有の苦しみも、結構どうでも良いものの様に思える。
ああ、なんだかずっと同じことを繰り返して言ってるな。
ここらへんでやめにしておこう。ちょっと取り留めがなくなってしまったけど、でもみんながみんな一生懸命生きているんだなって思う。それは愛しいことだし、隣の芝生についてどうのこうの思った所で仕方がない。

何もかもが入り混じってレモンドロップみたいに溶けてなくなってしまえばいい。
そして新しいレモンドロップを口に放り込むんだ。
それはきっと最初のより甘く酸味があり美味しいだろう。